調査日:2013年5月9日


国道135号線旧道
(網代地区)




現在、国道135号線の網代地区にある旧道区間の調査をしています。
現道区間の調査を終えたので、続いて青いラインの旧道を探索していきます。
(先に 現道区間の調査 をお読みいただくことをオススメします)


地図の左側(小田原側)からスタートです。


地図は国土地理院の電子地形図を使用






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

現道と旧道が分岐する交差点です。
すぐに「新網代トンネル」へ入る現道に対し、旧道は山を回り込むように左へと逸れます。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

現道から分岐すると、早速幅が2車線を割りました。
かろうじて歩道はありますが、それも気休め程度に過ぎません。

なお、旧道の分岐点に建っている青看板を見ると、旧道方面は網代旭町と案内されています。






さらに、数十メートルも行かないうちに歩道も終わり、ここから先は路側帯すら無い道路を歩くことになります。






道幅が狭いわりに建物が密集しているので、圧迫感があります。
現道と比べると、圧倒的に交通量が少ないです。






しばらく進むと、ほぼ直角のカーブで旧道は向きを変えます。
この辺りでは、路側帯があったりなかったり・・・。






カーブの先は、道の両側に商店や古くからの民家が立ち並んでいます。
先ほど青看板に表示されていた網代旭町の中心部だと思われます。
いかにも古くからの街道といった雰囲気ですね。

しばらく直線が続きます。






網代旭町の中心部を抜けてきました。
今でこそ閑静な住宅街の道路ですが、路肩はほぼゼロですぐに民家が接しているため、この旧道が現役だった頃は難所だったことでしょう。
ちなみに、現在も東海バスの路線バスはこの旧道を通っています。






次第に沿道の住宅が少なくなってくると右カーブとなり、少し登りこう配になります。
空が広く見えるようになってきたということは、どうやら海岸線に出るようです。







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カーブを曲がると、先ほどの住宅地からは一変、左を海、右を山に挟まれたわずかな平地を進むようになります。
この場所には、海側の路肩に旧道が現役だった時代からのものと思われる駒止めが設置されています。
ただし、その高さはかなり低く、とても車の転落を防いでくれるようには見えませんw
今でこそガードレールに加えて背の高いフェンスが設置されていますが、当時は相当怖かったのではないかと思います。






しばらく進むと、道幅がさらに狭くなりました。







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そして、現道と交差します。ここでは現道とは合流せず、そのまま奥へ続いていきます。
写真には写っていませんが、すぐ右側には現道の「新網代トンネル」の坑口があり、見通しが非常に悪いです。
ここから現道に合流するのは非常に気を使います。

ただし、この場所、実は少し複雑な変遷があります。






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それは、この合流点のすぐ手前に設置されている「湯ったりまっぷ!」に書かれています。
このマップをよく見ると・・・






「新網代トンネル」を出た現道が、現在の「立岩トンネル」ではなく「網代トンネル」に入っているように書かれています。
また、海上橋や立岩トンネルを含めた「網代パノラマバイパス」が一切書かれていません。
これが意味することは・・・






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

青ラインの旧道とオレンジラインの現道の間に、緑ラインだった時期があったことを示唆しています。
隣接する「新網代トンネル」と「立岩トンネル」の竣功年月に30年以上ものズレがあったのは、このような理由があったからなのです。







地図と照らし合わせてみます。

赤色で書かれている国道のラインがそのまま現道、青ラインが旧道となります。
そして、青ラインから赤ラインに切り替わる合間に、緑ラインの時代があったということになります。

切り替わりの変遷としては、トンネルや橋の竣功年月からすると概ね・・・

1.〜1969年  網代旭町→網代トンネル(青ライン)
2.1969年〜2005年  新網代トンネル→網代トンネル(緑ライン)
3.2005年〜  新網代トンネル→立岩トンネル(赤ライン)

このようになると思われます。
通常、"新"トンネルは既存のトンネルの代わりに掘られ、新トンネルの開通とともに既存のトンネルは使用されなくなります。
しかし、この場所においては、1969年から2005年の間、「新網代トンネル」と「網代トンネル」が両方とも使用されるという少し珍しい状態になっていました。
本来、「新網代トンネル」という名前は「網代トンネル」の代わりに掘られた「立岩トンネル」に付けられるべきですが、既に使用されてしまっていたわけですね。

先ほどの「湯ったりまっぷ!」は、2005年以前に設置されたものだったのでしょう。
それにしても、もう網代パノラマバイパスが開通して10年近く経つのに、未だにマップが直されないとは、地方自治体の財政の厳しさを感じます・・・。
それとも、ただ単に気づいていないのか・・・。

地図は国土地理院の電子地形図を使用







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

今度は、現道と交差した先から振り返ります。こちらのほうが分かりやすいかもしれません。
よく見ると、黄色く囲んだ標識類は、現道の網代パノラマバイパスではなく、こちらを向いて設置されているようにも見えます。

※ちなみに網代パノラマバイパス側から同地点を撮影した場所が こちら 
黄色の警告看板については、明らかに旧道側に向けられているのがわかります。





現道と交差したあとも、旧道は続いていきます。
先述のとおり、ここから先の区間については2005年まで現役だったため、これまでの区間とは規格がケタ違いです。

なお、旧道の入口には車止めが設置されているため、ここから先については自動車の通行ができません。
ただし、歩行者の立ち入りを禁止するような表示も無く、地元の方が散歩している姿も見かけました。






小田原側から来た場合には「新網代トンネル」を抜けた直後に旧道との交差点+右カーブ、下田側から来た場合には左カーブのすぐ先に「新網代トンネル」があり、さらにトンネルを抜けると信号があることから、どちらの車線にも注意を促すペイントが施されています。
廃止されてからまだ10年ほどということもあり、路肩は植物の浸食を受けているものの、状態は良好です。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

しばらく進むと、前方に道路状況を伝える電光掲示板が見えてきました。
「トンネル内」と読めることから、トンネル内の異常を知らせるもののようで、まだ姿は見えないものの、まもなくトンネルのようです。
「試験中」という看板が設置されていますが、これは現在進行中なのでしょうか?
整備すればまだまだ使用できそうな状態なのに、なんだかもったいないような気がします。

背後には、「立岩トンネル」に入る現道の姿が見えています。





電光掲示板を過ぎてすぐ、右カーブの先に坑口が姿を現しました!
坑口の手前では土砂が崩れており、右側1車線をほぼ完全に塞いでしまっています。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

なお、坑口の脇には旧旧道への入口がありますが、とりあえず今は旧道をそのまま進むことにします。






「網代トンネル」の小田原側坑口です。
石積みの重厚な構えはいかにも歴史のありそうな印象ですが、植物に隠されてしまっているのか、扁額は見当たりませんでした。
そしてこのトンネル、1つ恐ろしい点が・・・。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

トンネルに入った瞬間、センターラインが消えました!
そう、このトンネル、幅が2車線分確保できてないのです。
普通車同士ならまだ離合できるでしょうが、片方が大型車の場合はかなり厳しいのではないかと思います。
しかも、高さも4,0mの制限があるため、大型車は中央寄りを走らなければ天井がぶつかってしまいます。

見通しが良ければトンネル手前で待つことも可能ですが、網代トンネルの手前はカーブしており、トンネルの直前まで来なければ先を見ることができません。
現役時代は相当の難所だったはずで、これが2005年まで続いていたかと思うと驚きを隠せません。





内部です。
コンクリート製の場所と、コンクリート吹き付けの場所が混在しているようです。
坑口付近がコンクリート製なのかとも思いましたが、どうもそういうわけではないようです。

照明は点いておらず、直線なトンネルとはいえ日中でも非常に暗いです。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

ただし、照明自体は設置されており、現在も使用できそうな雰囲気はあります。
また、側壁には非常ベルや誘導灯などが設置されていた痕跡がありました。






そろそろ下田側の坑口ですが、ちょっとこの幅の変化はおかしいだろw
坑口の直前でセンターラインが途切れたかと思えば、すぐに路側帯が0,2車線ずつくらいキュっと絞られています。
しかも、こちらもカーブで見通しが悪いという・・・。

坑口まで続くセンターライン。
当然トンネル内も2車線だろうと、スピードを緩めずに網代トンネルに突入。
トンネルの暗さに慣れた頃にはセンターラインは無く、前方からはトンネルの幅いっぱいで走ってくる大型バスの姿が・・・。
すれ違うことなどできるはずもなく、坑口までのバックを余儀なくされる・・・。

そんな情景が、おそらく日常的に繰り広げられていたのだろうと、容易に想像できます。





網代トンネルの下田側坑口です。
造り自体は小田原側と同じようですが、日の当たり具合の違いからか植物があまり成長しておらず、鮮明に見ることができます。
坑口に直接電光掲示板が設置されてしまっているのは、少々残念なところですが・・・。





そして、小田原側の坑口では植物に覆われて確認できなかった扁額も見ることができます。
扁額坑口の左右に1枚ずつという少し珍しい設置方法となっています。

坑口左側の扁額にはトンネル名が書かれており、「網代隧道」と読めます。
先ほどの「湯ったりまっぷ!」では網代トンネルと書かれていましたが、網代隧道が正式な名前のようです。






そして、坑口右側の扁額には竣功年月が書かれていますが、なんと1932(昭和7)年6月の竣功と、非常に古い隧道でした。

今でこそ不足気味なスペックですが、竣功当時は充分すぎるものだったのでしょう。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

坑口から少し離れたこのあたりで、旧旧道が合流してきていたと思われます。
ただし、網代パノラマバイパスや建物の建設によって地形が変わっており、面影は残っていません。

写真右側にはわずかに立岩トンネルの坑口が見えています。






網代隧道を抜けると、再びセンターライン付きの2車線に戻ります。

ここから先は、旧道沿いに建物があるため、少なからず現在でも利用されているようです。






次第に現道との距離が縮まってきました。

現在は、センターラインが追い越しが可能な白いラインの旧道ですが、かつては追い越し禁止の黄色いラインだった痕跡があります。
また、最高速度は40キロだったようです。

網代隧道からこのあたりまでは、沿道住民の方のものと思われる路上駐車が多いです。
交通量がほとんど無いので特に問題は無いのでしょうが・・・。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

右カーブの先には、いよいよ現道との合流地点が見えてきました。

右側の擁壁には後ろ向きに看板が設置されており、回り込んでみると・・・
「この先 通り抜け出来ません」
と書かれていました。

しかし、不自然な余白や上から消した跡があるので、おそらく以前は別の文面だったのでしょう。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

そして、現道と合流しました。

2005年に開通した「網代パノラマバイパス」は、ちょうどこの旧道の合流点までとなり、ここから下田側の区間については、既存の旧道をそのまま使用しています。
そのため、この合流点を境界として、道路のスペックが変化するのです。






次のページでは、最後に旧旧道を調査します。


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