調査日:2012年9月27日・11月24日


日本専売公社小田原工場専用線
(小田原市)




日本専売公社小田原工場専用線は、小田急電鉄の足柄駅と日本専売公社(現:日本たばこ産業株式会社)小田原工場を結んでいた貨物線です。
地図を見て分かる通り、その長さは非常に短く、1kmにも満たない距離となっています。
開通年や廃止年ははっきりしていないものの、遺構などから1967(昭和42)年の時点では存在していたようです。
線路跡の大半は遊歩道となっていますが、現在も一部に遺構が残っており、短いながらも面白い廃線跡となっています。

それでは、レポートしていきたいと思います。
左図の右上(足柄駅前)から左(たばこ工場)へ向けてレポートしていきます。


地図は国土地理院の電子地形図を使用






小田原駅から小田急電鉄で1駅の所にある足柄駅。一部の急行列車が停車するものの、小田急電鉄内で最も乗降客数が少ない駅となっています。
しかしながら、構内には電車区があり、ロマンスカーなどが留置されていることも多いです。

なお、JR御殿場線にも同じ足柄駅がありますが、場所が全く異なっているため、乗り換えはできません。
一方、伊豆箱根鉄道の五百羅漢駅とは至近距離にあり、徒歩での連絡が可能です。

日本専売公社小田原工場専用線の跡は、足柄駅の構内から始まります。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

足柄駅の北側にある踏切です。
専用線跡は、この踏切の脇から唐突に始まります。

電車区の目立つ架線柱とは別に、ポツンと1つだけ奥に立っている架線柱(丸で囲んである)に注目してください。






いきなりktkr!
架線柱だけが奥へと続いていく様子は、違和感満点ですw 立入禁止の表示などは無いので、さっそく入ってみましょう。





振り返ると、最初の架線柱の先は道路を挟んですぐに民家があります。
この辺りが専用線の終端部分に間違いないようですね。

それにしてもこの架線柱、後ろの建物と比較すると明らかに傾いています。
廃線になってから徐々に傾いてきたのか、それとも現役の時から傾いていたのか・・・。
また、左右で架線柱の長さが異なりますが、木製のものを使用しているので、どうしても個体差が出てしまうのでしょうね。





2本目の架線柱以降は、しばらく複線分の幅の架線柱が続きます。
足柄駅構内であることを考えると、入れ替えのために複線になっていたのでしょうか?
それにしても、一番手前の架線柱がまた結構な傾き具合で・・・。

訪れた時はちょうど花(コスモス?)が咲いており、私の心を和ませてくれました。





ちなみに、架線柱によっては設置年月の書かれたプレートが設置されています。
この架線柱の場合、昭和42年3月に設置されたと思われ、この専用線の開通もこの時期だったのではないかと考えられます。

ただ、架線柱は立て替えられる場合もありますし、最初は非電化で開通し、のちに電化したという可能性もあるので、確定はできませんが・・・。
いずれにしても、1967(昭和42)年に専用線が存在していたのは確かなようです。





専用線跡は、足柄駅を左に見ながら続きます。
相変わらず架線柱のみが残っていますが、少し前までは架線も残っていたようです。

一部の架線柱には、照明(写真左上)も設置されていました。
電線が通っていないので、現在は点灯することは無いのでしょう。

ちなみに、軌道には轍ができていますが、定期的に車の通行があるようです。
また、地元の方の散歩道にもなっており、比較的人通りがあります。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

そろそろ足柄駅構内を抜けるというところで、架線柱が途切れました。
以前はさらに先まで架線柱が続いていたようなので、少しずつ撤去が進んでいるようです。

また、今まで直線だった専用線跡も、この先で右へカーブしていきます。

そして、そのカーブの直前、丸で囲んだ所には・・・






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

用途不明の暗渠があります。
専用線は、足柄駅構内のどこかに小田急電鉄との連絡線があったと思われるので、連絡線の遺構である可能性があります。
仮に、連絡線が通っていたとすれば、おそらく矢印のような感じに線路が敷かれていたと思われます。

過去の航空写真を見ると、確かにこの付近で小田急線からの連絡線があるようにも見えます。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

謎の暗渠から少し進むと、これまで架線柱以外に目立った遺構の無かった専用線跡に、架線柱以外の遺構が出てきました(丸で囲んだ場所)。






右側にあったのは、なんと転轍機! ポイントはおろかレールすら無いのに、なぜ転轍機だけが残されているという・・・。
レバーを動かしてみましたが、残念ながら、反対側へ倒すことはできませんでした。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

そして、左側にあったのは、押しボタンらしき物とスピーカー。押しボタンには銘板が設置されており、「長野日本無線株式会社」と書かれています。
検索したところ、この会社は現在も現役であり、ホームページの製品情報を見ると、この装置が「高声電話機」というものであることが分かりました。
指令との連絡に使用されていたようです。残念ながら製造年月は読み取れませんでした。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

その後、専用線跡は右へカーブし、小田急電鉄の線路から離れていきます。
一部、枕木が顔を覗かせていました。
枕木の位置や長さからすると、この辺りでは単線だったようです。





この辺りでは、踏切跡のようなものも見られました。
柵の手前に置かれている石畳が踏切らしい雰囲気を出していますが、実際に踏切だったのかどうかは分かりません。





右カーブの途中で、専用線跡は道路を渡ります。
この道路を境界として、貨物線跡の雰囲気はガラッと変わります。

と、その前に・・・。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

かつて専用線(矢印)との踏切があったと思われるこの道路。
その踏切から少し離れたガードレールには「注意」の看板が設置されています(丸で囲んだ場所)が、この看板、どうも踏切に設置されていた物を持ってきたっぽいですよね?w
専用線との踏切には目立った遺構が残されていないので実際のところは不明ですが、気になるところです。





ちなみに、踏切跡には古レールを再利用した柵が設置されていました。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

そして、道路を渡った専用線跡は、見事なまでに遊歩道として整備されていました(orz
「久野緑の小径」という名前が付いていますが、"こみち"を"小道"でも"小路"でもなく、"小径"としたのには、なにか理由があるのでしょうか?


次のページへと続きます。












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