調査日:2020年10月4日、公開日:2022年9月30日


堀之内橋
(富士宮市)



静岡県富士宮市に特徴的な立地の橋を見つけたので、調査してきました。


その橋は、富士宮市の北部、山梨県との県境に近い場所にあります。
付近に目立った目標物が無いため、まずは広域の地図で大まかな場所を確認します。

左の地図で上下(南北)に通っている赤色のラインの道路は国道139号線で、静岡県と山梨県を結ぶ主要道路となっています。
この地域では「富士宮道路」と呼ばれており、1995(平成7年)までは有料道路でした。
また、地図の中央付近を左右(東西)に通っている赤色のラインの道路は国道469号線で、こちらも静岡県と山梨県を結んでいますが、一部区間が狭隘となっており、国道139号線ほどの交通量はありません。
そして、地図の下側に見える線路は、JR身延線です。

今回紹介する橋は、地図の中央付近、○で囲んだ場所となり、市街地からは離れた場所となります。


地図は国土地理院の電子地形図を使用







周辺を拡大した地図です。

地図の中央上、に引いた緑色のラインの場所が紹介する橋です。
南北に通っている赤色のラインの道路が富士宮道路、東西に通っている赤色のラインの道路が国道469号線で、ちょうど2つの国道が交差する北山インターチェンジ付近にあります。
市街地から外れているとはいえ、車で生活するうえでは利便性が良いため、比較的住宅が多く建ち並ぶ地域となります。

橋の周辺の道路は、地図上では軽車道(幅1〜3m)として描かれていますが、一体どのような橋なのでしょうか。

それでは、地図の左(西)側から右(東)方向へ向かってレポートしていきます。


地図は国土地理院の電子地形図を使用






沿道に住宅と田畑が混在する道路を歩いていくと、道祖神が目印の分岐が現れます。
道祖神に導かれるように、奥に進んでいきます。






数件の民家を過ぎ、奥に富士宮道路に並走する側道のガードレールが見えてきたところで、橋が見えてきました。
やや私有地感があり、部外者が立ち入るのは少し勇気がいります。







低い欄干に狭い幅、シンプルながらも大きな銘板が埋め込まれた親柱は、いかにも古そうな印象を受けます。
しかし、それ以上に目を惹くのが、路面の状況です。
アスファルト舗装が橋の手前で終わっているようで、橋の上は緑の絨毯となってしまっています。
廃道ではたまに見る光景ではありますが、現役の道路橋でこのような状態となっているのは初めて見ました。




  
銘板は、全部で4枚設置されており、うち2枚は橋名が漢字とひらがなでそれぞれ掘られていました。
いずれも達筆で解読に少し時間が掛かりましたが、冒頭の地図にも書かれている地名から「堀之内橋」・「ほりのうちばし」であることが分かります
現在一般的に使用されているどの書体にも当てはまらない独特な文字は、歴史を感じさせます。
また、"その土地の地名をそのまま名前にしている橋"="その地域を代表する橋"であることが多く、古くから存在していることが多いです。





残り2枚の銘板はいずれも竣功年月となっていますが、1935(昭和10)年4月竣功!
なんと戦前生まれの、予想以上に古い橋でした。

そして、橋名の銘板の文字と比べると、こちらは極めて一般的な書体で掘られています。






側面から見てみます。
全国橋梁マップによれば、延長7.5m、幅員3.8mとなっており、橋脚は無く河川を一跨ぎにしています。

よく見ると、桁が一部欠けてしまっているのが分かります。
そして、やはり路面部分の植生が気になります。
欄干には等間隔に小窓が開けられていますが、路面上からでは植物に遮られてこの小窓に気付けません。
どこからこれだけの土砂が流入しているのか分かりませんが、少なからず桁全体にダメージを与えていると思われます。
1935年竣功の橋なので、そもそも路面が未舗装で、このようになったという可能性もありますが・・・。








※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。


そして、冒頭に"特徴的な立地の橋"と書きましたが、それがこの光景です。
先ほど、堀之内橋に向かう時に富士宮道路に並走する側道のガードレールが見えていましたが、当然その手前には国道139号線があるわけで、写真では見えませんが右側のフェンスの向こう側は国道139号線となっています。
このように、堀之内橋から富士宮道路へのアクセス路は無く、唯一の進路は奥にある富士宮道路を跨ぐ歩道橋のみとなっています。
写真に写っていない手前方向は個人所有と思われる畑があるため、畑に用事のある方が車で橋を渡ることはあるでしょうが、堀之内橋の役目はかなり限られているのが現状です。





どうしてこのような状況になってしまったのでしょうか。

これは、1971(昭和46)年に開通した富士宮道路によって、道路が分断されてしまったことに他なりません。
富士宮道路開通前の1961(昭和36)年〜1969(昭和44)年に撮影された航空写真を確認したところ、堀之内橋の先にも道路が続いていました。
たまたま堀之内橋付近が富士宮道路の進路になったために、進路を絶たれてしまったのです。
そして、分断された代わりとして設置されたのが、車両が通過できない歩道橋のみとなった結果、堀之内橋だけが残されたというわけです。

仮に歩道橋ではなく、富士宮道路へのアクセス路や、車両が通過できる高架、地下道などが設置されていれば、もう少し堀之内橋に活躍の場が与えられていたかもしれません。
しかし、その場合は幅員3.8mの堀之内橋では増大する交通量に対応しきれず、早々に架け替えられていた可能性が非常に高いです。
また、富士宮道路の進路があと数十メートル西側にズレていたら、堀之内橋は富士宮道路の建設に干渉するために取り壊されていた可能性があり、やはり生き残ることはできなかったでしょう。
さらに、富士宮道路が建設されず、進路が絶たれなかった場合はどうでしょうか。
その場合も、やはり幅員3.8mの堀之内橋では増大する交通量に対応しきれず、架け替えられていたと思います。

そう考えると、現在のこの奇跡的な立地だからこそ、80年以上もの間架かり続けることができているのではないかと思います。

これからも、静かな余生を送ってほしいものです。



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