調査日:2021年2月13日、公開日:2022年7月11日


西之谷地区の隧道
(掛川市)



静岡県掛川市にひっそりと余生を送る隧道を見つけたので、調査してきました。


その隧道は、田ヶ池から近い西之谷地区にあります。

左の地図で、中央左(西)側にある池が田ヶ池、そのさらに西側を上下(南北)方向に黄色いラインの道路は県道251号線です。
地図の左下(南西)に学校の表記がありますが、これは「掛川市立中小学校」です。
中(なか)地区にある小学校なのですが、小中一貫学校がある現代では、少し紛らわしい校名となっています。

今回紹介する隧道があるのは、地図の上(北)側、赤いラインの場所です。


地図は国土地理院の電子地形図を使用







周辺を拡大した地図です。

地図の中央やや左(西)側、赤いラインの場所が紹介する隧道です。
赤ラインで見にくいですが、隧道の前後は軽車道として道路が描かれており、隧道部分のみ何も描かれていません。
通常であれば、隧道部分は点線で表記されるはずですが、これが意味することとは・・・。
また、確かに地形にやや起伏があることが等高線からも分かり、隧道があってもおかしくない場所ではありますが、起伏があるのはこの一帯のみで、少し迂回すれば隧道を掘らずとも越えることができます。
現に、この地図でも、赤いラインの道路以外に、隧道を介さずに起伏を越えている道路が複数あり、絶対に隧道が必要・・・という場所では無いように見えます。
はたして、どのような隧道が待っているのでしょうか。

それでは、地図の下(南)から上(北)方向へ向かってレポートしていきます。


地図は国土地理院の電子地形図を使用






茶畑が広がる静岡らしい風景が続いています。
前方に見える小山を隧道が貫いているはずですが、今のところそれらしい気配はありません。






しばらく進むと、三叉路に突き当たります。
地図では正面にも軽車道が続いているように描かれているのですが・・・。






確かに、山の斜面と茶畑の間に平場が続いており、道といえば道に見えなくもありません。
色褪せてしまって読み取れませんが、意味深な立て看板も設置されていますし・・・。

ただ、路面の状況からしても自動車はおろか歩行者すらほとんど通行していないようで、夏場は植物に覆われてしまいそうです。
軽車道の定義は幅は1.5m以上3m未満の道路となっており、確かにギリギリ1.5m程度の幅はありそうですが、車道とは言えなさそうです。






茶畑が途切れると、堀割の中を進むようになります。
堀割自体は一般的な道路でもよく見ますが、この道の場合は幅が狭いため、圧迫感が半端ありません。
明らかに自動車を通すことは考えていない狭さです。
また、堀割の断面が歪であることから、おそらく手掘りだと思われます。

そして、緩やかな左カーブの先に、暗闇が見えてきました。







すごく・・・小さいです・・・。
自動車が通行できないのはもちろん、人ですら屈まないと通れないのではないでしょうか。
残念ながらフェンスによって封鎖されていますが、ドアが設置されているので、永久的な封鎖ではなさそうです。
ここまでの道も荒れてはいたものの通行はできたので、今でも何かしらの用途で利用されているのかもしれません。





フェンス越しに内部を覗いてみます。

この写真、決して背伸びして撮影しているわけではありません。
普通に目線の高さでカメラを構えているだけです。
私の身長は170cmほどなのですが、普通に頭が天井についてしまいます。

見える範囲はすべて素掘りのようです。
また、特に内壁が崩れている様子はなく、反対側の光が見えています。
素掘りのため今後崩れる可能性があることや、学校が近くにあり子供が入ってしまう恐れがあることなどが封鎖された理由でしょうか。
冒頭の地図を見ても分かるように、現在では迂回できる道路が複数あり、そもそも通行するメリットが無いということもありそうです。


それでは、迂回して反対側の坑口を見に行ってみましょう。






反対側の坑口は、直前まで住宅地となっており、なかなかに近づきにくい雰囲気です・・・。






どう見ても個人宅の出入口にしか見えませんが、軽トラックが停車している場所が道路の続きとなっています。






左カーブの先に坑口が見えてきました。
坑口の手前が堀割になっていることも、反対側の坑口と同様です。

隧道を挟んでS字カーブのような線形となっているうえ堀割もあるため、非常に見通しが悪いです。
自動車が通行する現代の道路であれば、真っ先に線形改良の対象となっているでしょう。
線形を犠牲にしてでも少しでも隧道を短くしようという、隧道の掘削技術が未熟だった時代の産物といえます。







残念ながら、こちら側もフェンスでしっかり封鎖されています。
フェンスに少しの隙間も無いことを考えると、わざわざ坑口の形に合わせてオーダーメイドで作っているようです。
そして、坑口前には枝などが高く積まれており、フェンスのドアは開けることができなくなっています。
実質的に役目を終えた隧道といえますが、土砂や鉄板で塞がれることなく、今でも貫通した状態で残っているのは、奇跡的であると思います。






最後に、この隧道がいつから存在するかということですが、1890年の地図には、すでにそれらしい道筋が描かれています。
隧道の記号はありませんが、等高線を無視して直線的に道路が描かれていることから、おそらくこの時代にはすでに存在していたと思われます。
ということは、1世紀以上前に掘られた隧道ということになります。

また、地図記号を見ると当時は隧道北側は住宅地、隧道南側は田んぼとなっています。
この住宅地と田んぼを行き来するために、この隧道が掘られたのではないでしょうか。
当時は自動車などほとんど無く、農機具などは背負って徒歩で運んでいたでしょうから、起伏を越えずに済むこの隧道は重宝されていたのではないかと思います。

かつては大活躍したであろう素掘り隧道、いつまでも静かな余生を送ってほしいものです。
なお、隧道の正式名称が分からなかったので、付近の地名を採用し「西之谷地区の隧道」とさせていただきます。


地図は「今昔マップ on the web」を使用



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