調査日:2013年4月19日


"伊東線"熱海駅〜来宮駅間の踏切跡
(2ページ目)




かつて、伊東線の熱海駅と来宮駅の間に存在していた踏切を調査中です。
現在、地図の下から上の方向へ向かっている途中です。


地図は国土地理院の電子地形図を使用







フェンスで仕切られた先に、伊東線の線路の方向へ下る階段を発見しました!
これこそが、踏切が現役だった頃に使用されていた通路(旧道)に違いありません。

階段は落ち葉で埋もれ、永らくの間使用されていないのが分かりますね。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

つまり、この不自然な屈曲を境界として、年季の入った手摺(手前側)が旧道、真新しい手摺(奥側)が現道となっているのです。
不自然な屈曲も、かつては通路がここで右へ曲がって階段へ繋がっていたと考えれば、辻褄が合います。


ところで、やっぱり階段の行き先が気になりますよね?w
一体どこに繋がっているのかを確認するため、野中山トンネル脇を登る現道の階段あたりまで戻ってみました。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

○で囲んだ場所がそうですが、崖っぷちすぎるw
どうりでフェンスでガッチリと封鎖されているわけですね・・・。

ちなみに、写真の左下に踏切跡が写っており、位置関係が分かると思います。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

そして、ここでもう一つ発見しました。

矢印の部分の方面に、金属製の棒のような物が2本埋め込まれています。
というよりは、元々何かが設置されていたのを切断した跡のように見えます。
また、2本とも同じ高さにあり、太さや形もほぼ同一であることを踏まえると、何かを支える梁だったのではないかと思われます。
さらに、よく見るとこの梁を中心として左から右へ登っていくラインが見えるような・・・。

以上のことから私は、この"金属製の棒のような物"は、階段の踊り場だったのではないかと思います。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

仮に、先ほどの"金属製の棒のような物"を階段の踊り場だったとすると、踏切を渡った旧道はラインのように続いていたと思われます。
そして、このラインはそう外れていないと思います。

私がこの踏切が現役だった頃に来たことがあるということは1ページ目でも書きましたが、その時の記憶にも、踏切を渡った直後に階段があったのを覚えています。
私の記憶が正しければ、マンションの非常階段などによくある金属製の物だったと思います。
写真を紛失してしまったのが本当に惜しいです・・・。

これで、踏切を渡ったあとの通路が見えないという謎は解けました。







旧道の道筋が分かったところで、改めて地図を見てみます。
すると、この地図には現道が描かれておらず、旧道が現役のようになっていることが分かります。

これに現道を書き足すと、緑色のラインのようになります。
こうして見ると、旧道よりも現道のほうが距離が長くなっているのが分かります。


地図は国土地理院の電子地形図を使用






それでは、旧道との合流地点から、レポートを再開しましょう。

相変わらず狭い通路が続きます。
路面状態からすると、あまりこの通路を使用する人はいないようです。
現に、探索中は1人も出会いませんでした。






しばらくまっすぐ進んだあと、若干右へ曲がりますが、その先に見えているのは・・・






か い だ ん !

今まで散々登っておいて、まだ登るつもりかw
ゆるやかに右へカーブしながら、続いていきます。

ちなみに、この真下には東海道本線のトンネルがあります。






そして、階段を登りきると、目の前には墓地が現れました。






通路は、相変わらずの狭さを保ちながら、墓地の端をカーブしながら続いていきます。

この辺りの地中には、東海道新幹線のトンネルが通っているはずです。






墓地を抜けると、今までの登りとは一変、一気に下りに転じます。






それも、かなりのこう配で下ります。
墓地より先は、自動車でも入れるような1車線幅の道路に変わりました。






ゆるやかなカーブを描きながら、なおも下りは続きます。
なぜかこの辺りの数十メートルのみ、歩道がありますw

そして、遠くには東海道新幹線の高架が見えてきます。






そのまま新幹線との高低差はどんどん縮み、ついにほぼ同じ高さになりました。
ほぼ水平に線路が敷かれている新幹線に比べ、道路はさらに下っていきます。

そして、ここで道路は右へ屈曲しますが、何気にカーブの手前が狭い!
しかも、狭い所に限って左右にコンクリートの壁があるという・・・。
カーブミラーも無いので、出会い頭になるとかなり厳しそうです。






カーブのあとも、どんどん下っていきます。
相変わらず幅が狭く、自動車同士のすれ違いは困難です。

なぜか、路肩から少し離れた場所に1本だけ街灯が立っています(写真左側)。






そして、1本の市道に合流します。
何気にこの合流の直前が一番こう配のキツい場所かもしれません。

この交差点を左折します。






すると、すぐにまた交差点に突き当たります。
奥には東海道本線と伊東線が見え、ちょうど伊東線の列車(8000系)が通過しています。
そして、ちらりと見えている高架橋は、先ほど一瞬だけ並走した東海道新幹線のものです。
この高低差を見ても、いかに急な下りだったかが分かります。

ちなみに、この交差点の脇にはパワースポットとして知られる「来宮神社」があります。






そして、この交差点を左折すると、冒頭で紹介した「来宮暗きょ」の反対側に辿りつきます。
東海道本線で1編成しかいないE217系が暗きょの上を通過中です。

ちょうど1周してきたので、ここでレポートを終わりたいと思います。
最後に、疑問点をいくつかまとめてみました。






 疑問1.どうしてあの場所に踏切を設置したのか?

→東海道本線の開通時には「来宮暗きょ」も既にあったので、わざわざあの場所に踏切を設置する必要はなかったはずです。
 ここで、私はレポート中に出てきた墓地と、墓地より先の車道に注目しました。
 現在、墓地へのアクセスは、踏切跡を通る徒歩ルート(レポート前半)と、来宮神社脇を登る車道ルート(レポート後半)があります。
 しかし、車道ルートは近年になって整備されたもので、元々は徒歩ルートしか無かったのではないでしょうか。
 これはあくまでも私の推測ですが、あの踏切は線路を横断するためではなく、墓地へ行くために設置されたのではないかと思います。


 疑問2.どうして踏切は廃止されたのか?

→これは、踏切の立地の悪さが原因ではないかと思います。
 というのも、この踏切、あまりにも見通しが悪すぎるのです。
 踏切の熱海側に野中山トンネルが隣接しているのはレポートを見ても分かりますが、さらにトンネルがカーブしているため、通過直前まで列車が見えないのです。
 また、来宮側の線路は直線が続きますが、通路が踏切の直前まで急な坂道となっているため、やはり踏切の直前まで来ないと列車が見えません。
 ただでさえ警報設備が無く危険な第4種踏切に、この立地はあまりにも酷すぎたのでしょう。
 踏切を第3種や第1種にすることなく廃止したのは、利用頻度が少なさが理由だと思われます。
 踏切を格上げする際の費用や、その後の保守・点検費用を考慮すると、新たに通路を造ったほうが経済的だったのではないでしょうか。
 また、踏切直後の階段の老朽化も進んでおり、撤去したかったのかもしれません。

 【2017年12月追記】読者の方からの情報提供により、過去にこの踏切では死亡事故が発生していることが分かりました。
             また、当時の新聞報道等により、踏切の名前が「野中山踏切」である可能性が高くなりました。
             情報をご提供くださった方にお礼を申しあげるとともに、亡くなった方には心よりご冥福をお祈りいたします。


いつの間にか、ひっそりとその姿を消していた熱海駅〜来宮駅間の踏切。
今でも遺構が残っていますが、やはり現役時代の様子が非常に気になるところです。



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