石部海上橋とその旧道(旧道編)



このページではいよいよ旧道区間の調査をします。
旧道は赤ラインの部分となります。

ここで少し書いておきます。
旧道は現道とは完全に隔離されており、旧道に入るためには危険な場所を通らなければなりません。
そのため、旧道への進入経路につきましては記載を省かせていただきます、ご了承ください・・・。
また、静岡側からは進入することができず、崩落地点より焼津側のみしか調査できなかったことをお許しください。

それでは、焼津側(地図の下側)から調査していきます。


地図は国土地理院の電子地形図を使用







まず最初に現れたのは、旧道区間の一番焼津側にある洞門「石部第二洞門」です。扁額は右書きになっています。
目線の位置がおかしいですが、「石部第二洞門」の焼津側坑口はほとんど埋没しているためです。
現在はかろうじて人が入れる隙間がありますが、数年後には完全に入れなくなってしまうのではないでしょうか・・・。



「石部第二洞門」は10mほどの長さしかありません。柱や天井はかなり頑丈そうな作りになっています。
内部は崖側半分が埋没しています。



「石部第二洞門」を抜けると、次の洞門まで短距離ですが明かり区間があります。
そのわずかな明かり区間には植物が密集しており、前に進むのに難儀します。写真にはわずかに次の洞門が写っています。



そして、焼津側から2つ目の洞門が「石部洞門」です。扁額はやはり右書きで、昭和18年竣功の文字があります。
おそらくこの「石部洞門」がこの旧道区間では一番古い洞門なのでしょう。



「石部洞門」はかなりの長さがあります。また、全体的にわずかに左へカーブしているようです。
こちらは目立った埋没はなく、40年近くも前に廃止されたとは思えない綺麗さです。少し感動しました・・・。



※この写真は、静岡側から焼津方を向いて撮影しています。

ただ、「石部第二洞門」と比べると、洞門自体の状態がかなり悪いです。
この写真を見ると、明らかに柱が歪んでいるのが分かります。鉄筋がむき出しになっている柱も多数あり、非常に危険な状態です。



海側を見ると、そこには現道の海上橋・・・。車が次々に通過していきます。ここは本当に取り残された場所なのです。
この道が現役だった頃には、ここからどのような景色が見えていたのでしょうか・・・。



さらに静岡側へ進んでいきます。進むにつれて柱の状態がどんどん悪化していき、もはや鉄筋すら外れてしまっています・・・。

そう、この先は・・・あの崩落現場でした。人が亡くなった場所・・・私はこれ以上進めませんでした。撤収です・・・。



不運な出来事によって廃止されてしまった旧道。死者まで出たこの悲しい事故は、決して忘れてはなりません・・・。




レポートを見て分かるように、この場所は非常に危険です。
調査中にも小さいながら落石が何回かあり、洞門の上にパラパラと落ちてくる音がした時は、本当に生きた心地がしませんでした。
また、旧道への進入時に、ビデオカメラの充電器1つが落ちて犠牲になってしまいました。もしそれが自分だったらと思うと・・・。
洞門の状態も非常に危険です。決して生半端な気持ちでは来ないで下さい。私は一切の責任を負えません。


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