調査日:2013年11月4日、2015年2月18日


千貫樋
(三島市・清水町)




皆さんは、千貫樋(せんがんどい)という言葉をご存知でしょうか?
おそらく、ほとんどの方が初めて聴く言葉だと思います。
今回は、道路や鉄道の遺構ではない、一味変わった建築物を紹介します。


その建築物があるのは、静岡県東部、三島市と駿東郡清水町のちょうど境界付近です。
左下にある赤いラインで示した場所が千貫樋ですが、道路や鉄道ではない場所にラインが引かれているところに注目です。

地図の右上にある駅は、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅で、駅から徒歩15分ほどの距離にあります。
三島市の中心地からは外れているものの、住宅が立ち並ぶ街中といった雰囲気です。

なお、黄色いラインは県道を表しています。


地図は国土地理院の電子地形図を使用






写真の道路は静岡県道145号線・・・と聴くといまいちピンとこない人がいるかと思いますが、旧:国道1号線と表現すれば多くの人は分かるのではないでしょうか。
旧道となったあとも、地元住民の生活道路として交通量の多い道路です。

先ほどの地図で言うと、左下から三島広小路駅の脇を通っているのがこの道路にあたります。
写っている信号機は、地図の左下、県道同士が交差している場所です。

写真右下にはその名もズバリ「千貫樋」というバス停が写っています。
日中は少なくても1時間に2本以上のバスが通るので、沼津駅や三島駅からはバスで来ることもできます。






ちなみに、交差点の名前も「千貫樋」となっており、この地域に千貫樋という名前が定着していることがうかがえます。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

境川橋です。
その名の通り、境川に架かる橋です。
この橋を境に、手前が駿東郡清水町、奥が三島市となっています。

非常に短い橋ですが、竣功はなんと昭和4年とかなりの古参です。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

境川橋の欄干には、清水町によって千貫樋に関する説明が書かれた掲示板が設置されています。
これによると、今でこそ三島市と清水町の境界となっている境川ですが、かつては駿河国と伊豆国の"国境"であったことが分かります。
ということは、私は今、国境に立っているということになります。

そして、その境川に架かっているものが千貫樋のようですが、なんとその始まりは1555年というから驚きです。





境川橋から見ると、眼下には水の流れが・・・。
これが千貫樋かと思いきや、これは境川。

では、千貫樋は何処かというと・・・







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

境川の上に架かっているこの高架橋のようなものなのですが、正直 全 然 見 え な い w
よく見ると、以前は分かりやすいように「千貫樋」と書かれていたようですが、それも現在は色褪せて辛うじて読み取れる状態という・・・。






ここで、縮尺を拡大した地図で確認します。
左下から右上へ通っている太い道路が静岡県道145号線、途中曲がりながら上から下へ向かって通っている川が境川です。
そして、千貫樋は赤いラインの位置にあります。
地図を見ても分かる通り、千貫樋の正体は川を跨ぐための川の橋、水道橋といえば分かりやすいでしょうか。
掲示板によれば、実際の千貫樋の長さは42mのようですが、境川橋から見ることができるのはせいぜい数m程度です。

さすがにこれではレポートにならないので、反対側に回り込んでみることにします。


地図は国土地理院の電子地形図を使用







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住宅街の中を通る道路を進んでいくと、前方に千貫樋が見えてきました。
先ほどよりはだいぶ見えるようになりましたが、まだ障害物が多いですね・・・。






上の写真に写っている加屋町子供会と書かれた倉庫の裏に回ってみると、ようやく千貫樋の全貌を見ることができました。
住宅に挟まれ、肩身が狭そうです・・・。






そのまま視線を右へずらすと、千貫樋の終点が見えます(千貫樋の水の流れが左から右方向なので、下流側となるこちらを終点とします)。
橋台はコンクリートで吹きつけられていますが、元々は立派な石積みであったことは容易に想像できます。






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住宅地をさらに進むと、千貫樋のほうへ向かう通路が分岐し、脇には千貫樋に関する説明が書かれた掲示板が設置されています。
ただし、こちらの掲示板は三島市が設置したもので、先ほどの清水町によって設置された掲示板とは異なる記述が見られます。

例えば、長さは清水町の記述では42.7mとなっていますが、こちらは45.5m・・・。
さらに、幅も清水町の記述では1.9mとなっていますが、こちらは1.8m・・・。
参考文献を提示している三島市の記述のほうが信憑性は高そうですが、一体どちらが正しいのでしょうか?





掲示板の脇の通路を進んでいきます。
どう見ても私有地のような雰囲気で居心地が悪いですが・・・。

千貫樋が間近に見えてきました。







千貫樋の真下に来ました。
突然現れた橋脚の列は、閑静な住宅街において異質の存在です。

掲示板によれば、もともと木製だった樋は関東大震災(1923年)で崩落したため、現在の鉄筋コンクリートの姿になったようです。
木製だった時代も見てみたかったですが、現在の姿もすでに90年以上が経過していると思われ、貴重なものといえます。






反対側を見ると、ちょうど千貫樋の起点部分でした。
色々と物が置かれており見にくいですが、橋台は石積みとなっています。
先ほどの終点側とは処理が異なっていますが、竣功年月の違いでしょうか? それとも橋台自体の高さの違いによるものでしょうか?






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

そのまま橋脚沿いに進むと、境川を跨ぐ部分に差し掛かりました。
境川の手前と奥では地面の高さが異なっていますが、こちらも石積みでうまく調整しています。

なお、境川より先は、千貫樋に近接して(というかもはや直下w 鉄道の高架橋じゃないんだから・・・)住宅があるため、千貫樋を辿ることができなくなります。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

先ほどの通路には、さらに続きがあり、千貫樋の脇へ登るような階段が設置されています。
しかし、どう見ても民家の軒先であり(勝手口もあるし・・・)、通っていいものか悩んでしまいます。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

意を決して登ってみると、千貫樋を上から一望できるようになりました。
なんと、千貫樋は今も現役で活躍を続けており、この日も絶え間なく水流を運んでいました。

そして、清水町の掲示板と三島市の掲示板で異なっていた幅ですが・・・
@ 水路部分である内側のみの幅は1.8m、コンクリートの樋の部分を含めると1.9m
A 底部と上部で幅が異なっており、いずれかが1.8m、いずれかが1.9m
B 場所によって幅が異なっており、測った場所の違いによる誤差
このあたりが理由として挙げられそうです(@は片方の樋の部分だけで幅が10cm以上ありそうなので、違う可能性が高そうですが・・・)。





ほぼ同じ場所から反対側を見ると、そこはもう地面です。
少し幅が広いですが、ごくごく普通の水路にしか見えません。

ただ、富士山のお膝元ということもあり、流れている水は非常に澄んでいます。






すみません、ごくごく普通の水路ではありませんでしたw

さらに上流では、このように水路の真上に建物がある場所も・・・。
しかも、外見からしてここ数年に建てられたものでは無さそうです。







気を取り戻して、千貫樋の起点部分です。
このあたり一帯はほとんど起伏の変化が無いのですが、境川に沿うようにして一気にすり鉢状に地形が落ち込んでいます。
この起伏の変化を乗り越えるために掛けられたのが、千貫樋です。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

こちらは千貫樋の終点付近になります。
終点付近は、住宅があるため間近まで近づくことはできませんが、どうにか千貫樋を見通すことができます。

ちなみに、 2013年にこの場所を取材した時は、さらに住宅が密集しており、 千貫樋を見通すことができませんでした。


起源は1555年ともいわれている千貫樋。
関東大震災で被害を受けながらも、未だ現役で役目を果たしています。
しかし、さすがのコンクリートといえども劣化が進行しており、水漏れや耐震強度の不足など、様々な問題も抱えています。
非常に貴重な存在なので、ぜひ残ってほしいと思います。

余談ですが、昔はここまで住宅が多くなく、県道145号線からも千貫樋がよく見えたそうです。
宅地開発が進むのは悪いことではありませんが、もう少し景観に配慮してほしかったと思います。



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