調査日:2022年1月23日、公開日:2023年4月20日


清水橋
(静岡市)



今回は、静岡県静岡市清水区にあった悲しい最期となってしまった橋を紹介します。


目標物が少ないため、まずは広域の地図でおおまかな場所を確認します。
左の地図に写っている全範囲が静岡県静岡市清水区となっています。
地図のほぼ中央、〇で囲んだ場所に橋があります。
右上から左下へ続いている緑色のラインは新東名高速道路、地図の中央左側から下へ続いている緑色のラインは中部横断自動車道で、両道路が交差する場所が新清水ジャンクションとなっています。
右上から右下へ続いている赤色のラインは国道52号線です。
そして、右下にわずかに見切れている線路はJR東海道新幹線です。


地図は国土地理院の電子地形図を使用







〇付近を拡大した地図です。
中央付近の赤色のラインが今回紹介する橋となっており、橋が跨いでいる河川は興津川です。
その興津川に沿うように続いている黄色のラインは静岡県道75号線となっています。
なお、興津川は地図の上側が上流、下側が下流となります。

それでは、レポートしていきます。

地図は国土地理院の電子地形図を使用






2車線幅の県道75号線から分岐している農道のような道路。
この先に橋があるのですが、用が無ければまず入らないでしょう。







分岐を入ると、すでに橋が見えています。
こんなところにも茶畑があるのが静岡らしいです。







そして、今回紹介する橋に到着しました。
幅の狭さもさることながら、欄干の低さが目立ちます。
低い欄干は古い橋の特徴ですが、はたしてどうでしょうか。





竣功年月が気になるところですが、その前に親柱の特徴的な形状にも目に留まります。
決して立派な大きさではありませんが、一般的な四角柱ではなく流線形を取り入れた凝った造りとなっています。





そして、4本ある親柱にはそれぞれ銘板が埋め込まれています。
うち2枚は「清水橋」と漢字で橋名が刻まれていました。
ひらがなの銘板が無いため読み方が分かりませんでしたが、とある出来事により「しみずはし」であることが判明しています。




そして、残り2枚の銘板は竣功年月となっていますが、なんと1931(昭和6)年6月という戦前橋でした。
取材時点で90歳超え、もう少しで1世紀という大変な歴史のある橋だったのです。




側面です。
"国土交通省の資料"によると延長は55.6mで現在の技術であれば橋脚無しで一跨ぎにできそうですが、昭和1ケタ台の橋ということもあり、4本の橋脚で支えられていました。
ここで、なぜ国道でも県道でもないこの小さな橋が"国土交通省の資料"に掲載されているのか疑問に思った方がいるはずです。
それでは、この清水橋の最期が関係しています。




2022年9月に発生し、静岡県を直撃した台風15号は、静岡市では統計開始以来観測史上1位となる降水量を観測し、巴川など一部の河川では越水が発生しました。
当然、興津川も例外ではなく大雨により増水し、結果この清水橋は流失してしまったのです。
1931年の竣功から91年もの間どんな水害にも耐えてきた戦前橋でしたが、観測史上1位の降水量に勝つことはできませんでした。

冒頭の写真を見ていただくと分かるように、清水橋を渡った先には上ノ島という集落があり、この集落は興津川と山に囲まれているため清水橋が唯一のアクセス路となっていました。
清水橋の流失により、集落へのアクセスが寸断されてしまったため、早期復旧のため国土交通省より応急組立橋などの貸与を受けており、結果"国土交通省の資料"に清水橋のスペックなどが掲載されることとなったのです。





更新で姿を消す橋は多々あれど、このような形で最期を迎えようとは、清水橋自身も思っていなかったのではないでしょうか。
流失の約半年前という奇跡的なタイミングで訪れ、その雄姿を写真に残すことができたのは、運命的なものを感じてしまいます。

91年間お疲れさまでした。
どうぞ安らかに・・・。



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