調査日:2018年3月25日、公開日:2018年6月30日


県道388号線旧道区間(市代トンネル周辺)
(旧道編)



静岡県道388号線、市代トンネル付近にある旧道を探索しています。
続いては、旧道区間をレポートしていきます。

黄色のラインが静岡県道388号線、赤のラインが旧道です。
旧道のラインを見ると、通常ではあり得ないことが起こっていますが、これはレポートの中で紹介します。

現道のレポートと同じく、川根本町側(地図の下側)から井川側(地図の上側)へ向かってレポートしていきます。


地図は国土地理院の電子地形図を使用







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

現道との分岐点からスタートします。
奥に小さく見えるのは市代トンネルで、現道は2車線幅の橋でまっすぐトンネルを目指しますが、旧道は崖沿いに迂回します。





旧道への分岐は、特に立ち入り禁止などの措置はありませんが、現道側にはガードレールが設置されており、自動車は物理的に立ち入りができません。
旧道に入ってすぐ、橋を渡ります。






橋は、普通乗用車であればかろうじてすれ違いができる程度の中途半端な幅のものが架けられています。
若干の落石はあるものの、橋自体は全然通行することができます。

そして、欄干はガードレールを流用したようなものとなっています。
それ自体はほかの橋でもたまに見ることがありますが、黄色に塗装されているのは初めて見ました。





  
ガードレールには、小さいながらも銘板が設置されています。
4枚設置されており、うち2枚は橋の名前が刻まれています。
現道の橋には銘板が設置されておらず橋の名前が分かりませんが、これにより「末広橋」ないし「新末広橋」である可能性が高くなりました。





残りの2枚は竣工年月となっており、1963(昭和38)年12月竣工であることが分かります。
意外と新しい橋でした。
さきほどの銘板には「すゑひろはし」と書かれていたので、もっと古い橋だと思っていました。
(「ゑ」は一般的には1946(昭和21)年まで使用されていました。)
となると、なぜ「え」ではなく「ゑ」を使用したのか気になるところですね・・・。






現道の橋から旧道の末広橋を見てみます。
ガードレールや桁が黄色く塗られているため、現道からでも目立って見えます。
ただ、夏場は木々に葉が付くため、多少見にくくなると思われます。

なお、現道は橋も含めてずっと上り勾配ですが、旧道はほぼ平坦のため、旧道のほうが下に見えています。






広末橋を渡った旧道は、直後に左へカーブします。
橋は直線で、その前後の道がカーブしているという、古い道に多い線形となっています。
当然前後の道も道幅は狭く、すれ違いには相当神経を使っていたはずです。

なお、このあたりは土砂が堆積しており、当時の様子をうかがうことはできません。






そして、旧道は一度現道に合流します。
このあたりは、現道の建設時に地形が改変され、原型を留めていないのではないかと思います。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

旧道は、現道の橋のすぐ脇に合流します。
しかし、こちら側もガードレールで封鎖されており、物理的に自動車の立ち入りはできなくなっています。





現道と合流した旧道は、市代トンネルに向かっていきます。
このあたりは、旧道をそのまま拡幅しているのではないかと思います。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

そして、現道が市代トンネルに入ろうというところで、旧道は予想外の方向へ分岐します。
確かにトンネルの左脇には旧道らしい路盤がありますが、そこは現道から完全に隔離されています。
果たして、あの場所に立つことは可能なのでしょうか。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

わずかながら足掛かりがあり、どうにか路盤に立つことができました。
当然ながら、車両の乗り入れはできません。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

旧道を進んでいくと、なんと崖の影から隧道が姿を現しました!
隧道の直前はカーブとなっており、非常に悪い線形といえます。
一応、カーブにはカーブミラーが設置されており、ミラーこそ無いものの今も残っています。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

隧道の目の前まで来ましたが、これは狭い!
まるで鉄道の単線トンネルのような形をしており、とてもすれ違いはできない幅です。
坑口には小さめの扁額が設置されており、これによると「市代隧道」となっています。
竣功は昭和38年12月と先ほどの末広橋と同じなので、同時期に建設されたようです。





特に立ち入りを禁止する措置はなかったので、中に入ります。
路面が未舗装なこともあって、やはり鉄道の単線トンネルのようです。
先ほどの末広橋は舗装されていましたが、旧道は未舗装で建設された可能性が高いようです。

ところで、出口の光が見えませんが、いったいこの先どうなっているのでしょうか。






!?
なんと、坑口から30m程度の位置で突然進路を塞ぐように壁が出現し、隧道全体が塞がれてしまいました・・・。
これはいったいどういうことなのか・・・。
みなさん、最初の地図を思い出してください。
旧道のラインが、現道の市代トンネルに突き当たるようにして終わっていました。
そう、実は市代隧道の井川側は拡幅され、現道の市代トンネルとして今も使用され続けているのです。
この壁の向こうには、市代トンネルがあります。





では、肝心の市代トンネルとの接合点はどこなのか。
この写真は、現道の市代トンネルを川根本町側から入って30mほどの場所で撮影したものです。
残念ながら、市代トンネルには接合部の手掛かりになるようなものはありません。
ただ、個人的にはこの右カーブが終わった直後が怪しいのではないかと思っています。

現代ではトンネル内でのカーブは珍しくありませんが、以前はトンネルをカーブで掘るのは技術的に難しいものでした。
おそらく、市代隧道もほぼ直線で掘られていたと考えられ、そうなるとカーブを曲がり終え、ほぼ直線となるこの場所が接合点だと思われるのです。

ちなみに、現道のレポートでも紹介したとおり、この市代トンネルは1982年の竣功となっています。
市代隧道は1963年なので、市代隧道はわずか19年間しか使用されなかったことになります。
井川側は拡幅されて再利用されているとはいえ、隧道としてはあまりにも短命です。
やはり、幅の狭さががネックとなったのでしょうか。






旧隧道が新隧道に吸収されているという珍しいシチュエーションの旧道。
距離もそこまで長くなく、市街地から遠いことを除けば比較的気軽に探索できる場所であると思います。


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