調査日:2018年3月25日、公開日:2019年12月19日


県道81号線旧道区(庄司文殊トンネル周辺)
(旧道編)



静岡県道81号線の旧道を探索します。
左の地図の、赤色のラインが旧道となります。

基本的に、地図の左側(森町側)から右側(掛川市側)に向かってレポートしていきます。

ちなみに、この地図には実は間違いがあるのですが、これについては後ほど書いていきます。


地図は国土地理院の電子地形図を使用






現道との分岐点です。
右へカーブする現道に対し、旧道はそのまま真っ直ぐに続いており、路面のペイントと矢印の看板にカモフラージュされていますが、よく見ると旧道のほうが自然な線形であることが分かります。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

旧道の入口には、バリケードらしき物が乱雑に置かれています。
まるで、「この先に進む前に1つ持っていくアイテムを選べ」と言われているかのようですが、どれも役に立つとは思えませんw
一番右側に置かれている看板には「金谷町」の文字が入っていますが、金谷町は2005(平成17)年に島田市に編入され、現在は存在しません。
対して、左側のバリケードは「島田市役所」と書かれており、比較的最近置かれたものと想像できます。





アイテムたちをスルーし、旧道区間に入ります。

現道の庄司文殊トンネルの竣功が1999(平成11)年だったので、旧道も同時期の廃止と思われますが、それにしては路面が綺麗です。
先ほどのバリケードは手でも簡単に移動できそうな物だったので、現在も定期的に車が入っているのかもしれません。






しかし、良好な路面状況は長くは続かず、日陰となる区間に入ると悪化してきました。
そして、さっそく橋が現れます。





  
短い橋ですが、銘板はしっかりと4ヶ所に設置されており、うち2枚はそれぞれ「庄司6号橋」、「しょうじ6ごうばし」と書かれていました。
ということは、この先にはまだ5本の橋がある可能性があります。





残り2枚は竣功年月が書かれており、1979(昭和54)年11月竣功であることが分かりました。
先ほども書いたとおり、現道の庄司文殊トンネルは1999(平成11)年の竣功なので、この橋は20年程度しか活躍しなかったことになります。

なお、銘板からは河川名は分かりませんでしたが、大代川の支流にあたります。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

庄司6号橋を過ぎると、右上から道が合流してきました。
かつては軽トラックくらいだったら通れたのかもしれませんが、今はとても車両が通行できる状態ではありません。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

このあたりは比較的道幅が広く、2車線とまではいきませんが、普通車同士であればすれ違いには困らないでしょう。
対向車線側には、警戒標識のすべりやすいが残っていました。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

このあたりからは、道幅が狭くなり、すれ違いが難しい幅となります。
標識に続き、カーブミラーも残っています。
静岡県のシールが貼られており、県道であったことを証明しています。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

右側を崖、左側を川に挟まれたわずかなスペースを通っていきます。
路肩を見ると石積みとなっており、昔の道であることを主張しています。





場所によって路面の荒れ具合に差があり、このあたりは旧道化から20年も経過しているようには見えないほど状態が良いです。
走る場所を選べばまだ車でも通行できそうです。






ここで、再び橋が現れます。
橋の幅が狭めなうえ、橋を挟んでS字カーブとなっており、現役時代はネックとなっていたに違いありません。





  
こちらの橋にも、銘板は4ヶ所に設置されており、うち2枚はそれぞれ「庄司5号橋」、「しょうじ5ごうばし」と書かれていました。





残り2枚はやはり竣功年月で、1977(昭和52)年12月竣功であることが分かりました。
先ほどの庄司6号橋は1979年の竣功だったので、2年の差があります。
この短い区間で2年間も掛かっているとなると、難工事だったのでしょうか。






今度は、川を右に見ながら進みます。
左側の法面上にはハニーボックスらしきものが設置されており、この管理者などが現在でも来ているのかもしれません。






カーブミラーは設置されていますが、狭いうえに見通しの悪いカーブです。






またしても大代川を渡ります。
山と川に挟まれる中、少しでも余地のある場所に道路を通そうとした努力を感じます。





  
やはり、銘板は4ヶ所に設置されていましたが、橋名がひらがなで書かれている1枚は倒木に隠れおり読み取れません。
しかし、漢字が「庄司4号橋」であることから、「しょうじ4ごうばし」で間違いないでしょう。





残り2枚はやはり竣功年月ですが、1979(昭和54)年3月竣功となっています。
これはおかしなことになってきました。

これまでの橋の竣功年月を並べると・・・
庄司6号橋・・・1979年11月
庄司5号橋・・・1977年12月
庄司4号橋・・・1979年3月

通常、道路は一方から、もしくは両端から建設していきます。
そのため、橋の竣功についても、起点側から終点へ向かうにつれて遅くなるか、中央部分が遅くなることがほとんどです。
まれに、工事用道路を建設し中央から建設することもありますが、この旧道は工事用道路を建設できるスペースは無いように思いますし、この竣功年月の違いは謎としか言いようがありません。

これについては、今後も橋が現れると思われるので、またあとで考えましょう。






この旧道、標識は先ほどのすべりやすいしか見ていませんが、カーブミラーは随所に残っています。
カーブミラーなんかは、状態が良ければ他所にも移設できそうなものですし、少しもったいない気がしますが・・・。






ものすごい頻度で橋が登場してきます。
私が過去に探索してきた旧道の中でも、ここまで橋が多いのは初めてかもしれません。





  
やはり、銘板は4ヶ所に設置されており、うち2枚は「庄司3号橋」、「しょうじ3ごうばし」となっています。





残りの2枚は、気になる竣功年月です。
1979(昭和54)年3月と、庄司4号橋と同じでした。

つまり・・・
庄司6号橋・・・1979年11月
庄司5号橋・・・1977年12月
庄司4号橋・・・1979年3月
庄司3号橋・・・1979年3月
となります。






このあたりは、はっきりと路側帯のペイントが残っています。
やはり、旧道となってから20年が経過しているようには見えず、今でも少なからず利用があるような気がします。






ペース早いよ!
どんだけ橋造ってんだよ。
それだけ地形が厳しいということなのかもしれませんが・・・。

ところで、冒頭で「この地図には実は間違いがある」と書きましたが、すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
実際には、このように橋によって頻繁に大代川を横断しているにも関わらず、地図上ではこの旧道は、ずっと左岸を沿っているかのように描かれているのです。
ここまで5回大代川を横断しているのは事実なので、たまにある地図の誤植なのでしょう。

ちなみに、冒頭の地図は国土地理院の電子地形図ですが、グーグルマップやヤフー地図、マピオンも確認したところ、正しく描かれているものはありませんでした。





  
やはり、銘板は4ヶ所に設置されており、うち2枚は「庄司2号橋」、「しょうじ2ごうばし」となっています。





残りの2枚は、気になる竣功年月です。
1977(昭和52)年12月と、庄司5号橋と同じでした。

つまり・・・
庄司6号橋・・・1979年11月
庄司5号橋・・・1977年12月
庄司4号橋・・・1979年3月
庄司3号橋・・・1979年3月
庄司2号橋・・・1977年12月
となります。
いったいどうなっているんだ・・・。






大代川を左手に見ながら進みます。
これまでは、川側にはガードレールが設置されていましたが、なぜかこの区間はガードレールが無く、路肩には近づきたくないですね・・・。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

わずか数十メートルで再び大代川を渡ります。
しかし、なぜかこの橋には銘板やガードレールなどが設置されておらず、暗渠のような雰囲気です。
そのため、竣功年月はおろか、名前すらも分かりません。





旧道は、再び大代川を右手に見ながら進むようになります。
相変わらず川と山に挟まれた険しい場所を通っていきます。
こういった場所の旧道は、落石などで真っ先に通行ができなくなることが多いのですが、状態はかなり良いです。
瓦礫などは脇に寄せられているようにも見えるので、やはり現在も管理されているのかもしれません。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

久しぶりに現れた標識は、「幅員減少」です。
確かに、明らかに幅が狭くなっているように見えます。
にも関わらず、相変わらず川側にはガードレールが無いという・・・






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

これは確かに狭いです。
一番幅が狭いと思われる部分のみガードレールが設置されていますが、自動車同士のすれ違いはまず困難でしょう。
川側には、そこそこの高さの擁壁が築かれており、これ以上の拡幅は桟橋などを造らないと難しそうです。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

狭く見通しが悪いうえに、川側にガードレールも無いカーブです。
こんなところで対向車と出会おうものなら、発狂すること間違いありません。
一応、カーブミラーが設置されていますが、なんとこのカーブミラーのポールには「島田市」のシールが貼られています。
旧道の入口には「金谷町」の文字が入ったバリケードが設置されていましたが、金谷町は2005年に島田市と合併しているため、「島田市」であることは間違いではありません。
「島田市」のシールが貼ってあるということは、このカーブミラーが設置されたのは合併後の2005年以降ということになります。
しかし、現道の庄司文殊トンネルの竣功が1999年であることを考えると、旧道化して5年以上も経過してから設置されたことになります。
しかも、先ほども書いたように旧道の入口には「金谷町」の文字が入ったバリケードが設置されていることから、島田市への合併前(2005年以前)の時点で旧道は閉鎖されていた可能性が高く、そのような道にわざわざ新規にカーブミラーを設置するとも思えません。
可能性としては、現役時代からこの場所にはカーブミラーが設置されていたが、老朽化などが進んだために交換した・・・といったところでしょうか。
もしくは、一度は閉鎖されたものの、何らかの理由で一時的に解放され、その際に設置したとも考えられます。
それであれば、ここまでの路面状態が比較的良かったのも納得できますが・・・。





先ほどのカーブミラーから先は、ガードレールが復活し、川に転落する危険は減りました。
しかし、相変わらず道幅は狭く、すれ違いに苦労しそうです。






この場所は、以前は倒木が旧道を塞いでいたようですが、人為的に幹が切断され、通れるようになっています。
やはり、現在でもこの旧道は管理が続いているようです。






前方が少し明るく開けてきました。
そういえば、先ほどまで連続していた橋が急に現れなくなりました。






これまでは、崖側には特に擁壁などはありませんでしたが、このあたりはしっかりとした法面が築かれています。
先ほど見た路肩は石積みであったことから、この法面は当初は無く、あとから設置されたのではないかと思います。
排水用のコルゲートパイプも、まだ新しそうに見えます。






法面が設置されていたのはほんのわずかな区間のみで、その先は土砂がガードレールを越えて押し寄せていました。
こうして見ると、法面の必要性は一目瞭然です。

ところで、庄司1号橋はどこに・・・。






ほぼ全区間にわたって見通しが利かなかった旧道ですが、このあたりは比較的まっすぐで、先まで見通すことができます。
すれ違いができるかどうかは別問題ですが・・・。
いつの間にか大代川とは結構な高低差がついており、川側にはガードレールも設置されています。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

路面を覆う土砂が減り始めると、今度は巨大な崖が現れました。
垂直に近く危険に見えますが、意外にも安定しているのか、落石は少ないようです。






※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

崖を回り込むようにカーブします。
このカーブにはカーブミラーが設置されていますが、「注意」ではなく、島田土木事務所による「非常用砂」のプレートが設置されていました。
現道では凍結時に使用する塩化カルシウムが置かれていましたが、似たような感じでしょうか。
ところで、左側の崖には斜めにラインが入っているように見えます。
地層が現れているのか、それとも旧道の建設時に削った痕跡なのでしょうか。
かなり表面が平坦に整っているので、個人的には削ったのではないかと思っていますが・・・。、






カーブを曲がると、現道が見えてきました。
まもなく旧道区間は終了となります。







※この画像はマウスを乗せると切り替わります(少々時間がかかる場合があります)。

現道に合流する寸前で、久しぶりの橋で大代川を越えます。
こちらにも看板とバリケードが設置されていますが、看板はやはり「金谷町」となっていました。
固定されているわけではないので、バリケードを退かせば旧道に入ることができます。




  
さて、橋ですが、やはり銘板は4ヶ所に設置されており、うち2枚は橋の名前が刻まれていますが、「庄司1号橋」じゃない・・・だと・・・。
なんと、「庄司橋」、「志やうじはし」となっています。
ここまで「庄司6号橋」から「庄司2号橋」まで続いてきたなら、普通は「庄司1号橋」となるはずなのになぜ・・・。
最後の最後でモヤモヤさせるのやめろよ・・・。





残りの2枚は竣功年月ですが、1975(昭和50)年12月でした。

つまり・・・
庄司6号橋・・・1979年11月
庄司5号橋・・・1977年12月
庄司4号橋・・・1979年3月
庄司3号橋・・・1979年3月
庄司2号橋・・・1977年12月
庄司橋・・・1975年12月

もう意味分かんねぇなこれ。

さらに、この橋にはもう1つ謎があります。






なんか橋脚みたいのが残ってますねぇ・・・。
つまり、1975年以前の旧橋があったということになります。
もし、庄司6号橋〜庄司2号橋にも旧橋があったと考えると、竣功年月のバラツキは簡単に説明がつきます。
ただ単に、旧橋の老朽化の進行具合や、その当時の予算などで橋の架け替えが前後しただけなのではないでしょうか。
しかし、橋の名前は旧橋時代のものを継いだので、庄司5号橋より前に庄司6号橋が竣功されるという逆転現象が起こったわけです。

そして、「庄司1号橋」が存在しない点については、いくつかの推察ができます。

@最初は「庄司橋」だけを架ける予定だったが、複数の橋を架けることとなったため、以降の橋に「○号橋」を付けた。
A実は庄司2号橋の先にあった無名の橋が「庄司1号橋」である。
B「庄司橋」の旧橋は「庄司1号橋」であったが、掛け替え時に改名された。

個人的には、Aは怪しいと思っています。
橋の規模はほかの橋とほぼ同じにも関わらず、あの橋だけに銘板が設置されていない理由が分かりません。
予算の都合などで、銘板が省略された可能性があるのではないでしょうか。






というわけで、現道に合流しました。
旧道は、川と崖に挟まれた見通しの悪いカーブが連続する悪路でした。
しかしながら、現在でも少なからず管理されている様子があり、全体的に状態の良い旧道でもありました。
距離はやや長めでしたが、探索しがいのある旧道でした。

ちなみに、地図の誤植についてですが、もしかしたら橋が架けられる前の旧々道の線形の可能性があるのではないかと考えています。
橋が架けられたあとも変更が反映されず、現在まで残っているのかもしれません。
しかしながら、ここまでのレポートを見ていただければ分かるとおり、現在の大代川沿いには旧道以外に道らしいものは存在せず、仮に旧々道があったとしても探索できる状態ではないと思われます。
少し謎が残った旧道探索でした。



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