三津坂隧道とその旧隧道(2ページ)




前ページでは昭和時代に作られた現役の「三津坂隧道」を紹介してきたこのレポート。
このページでは旧道に存在する明治時代に作られた「旧三津坂隧道」を紹介していきます。

昭和の「三津坂隧道」をご覧になりたい方は こちら からどうぞ。


現隧道との位置関係はこのようになっています。
緑ラインが現道の静岡県道130号線、赤ラインが旧道になっています。


このページでは、まず旧道を伊豆長岡側(地図の右側)から入っていきます。


地図は国土地理院の電子地形図を使用






こちら側は旧道が途中までホテルへの出入口として使用されているため、現在でも状態が良いです。

中央を境に道路の舗装が左右で変わっていることから、ホテル建設時に右側半分を拡張したのでしょう。
となると、元々の道幅は普通車1台がギリギリ通れるくらいだった事になります。






ホテルを過ぎると急に道の状態が悪くなり、舗装もなくなりました。

現道の隧道が完成したのが昭和36年なので、旧道が未舗装なのは特に違和感ありません。
しかし、実際にこの部分を歩いてみるとズボズボ靴が沈んでいくんですよ。
こんな状態で自動車が走れるわけがないので、近年になってわざと土砂を敷いたのではないかと思います。
重機が通ったようなキャタピラの跡も残っていますし・・・。


よく見ると遠くに隧道が見えていますね。







旧三津坂隧道、伊豆長岡側坑口に到着しました。
明治29年竣功、延長170m、幅3,6mで、伊豆の観光地として有名な「旧天城トンネル」よりも8年早く完成しています。
おそらく伊豆半島の中でも最古級の隧道でしょう。明治時代に作られた隧道としてはかなり立派な構えです。


※この写真は、都合により内浦側坑口から撮影しています。

内部です。隧道はほぼ直線となっており向こう側の光が見えます。少し水浸しになっていますが、状態は良さそうです。
坑口付近は石積みのアーチが続きますが、よく見ると数メートル先から素掘りになっているのが分かります。


水浸しになってもいいような格好をしてこなかったため、現道の三津坂隧道を通り、反対側の旧道入口に向かいました。




前ページでも紹介した内浦側の旧道分岐点です。ここを右に入ります。






簡易的な舗装はされていますが、普通車1台がギリギリくらいの道幅しかありません。
緩やかに登っていきます。






すると、目の前に分岐点が現れました。

カーブを描きながらさらに登っていく舗装路と、左へ分岐する未舗装の怪しい道・・・。
どちらが旧道かといいますと・・・左ですw 騙されないように注意してください。






伊豆長岡側と同様、歩くとズボズボ靴が沈む未舗装路です。
こちら側も近年になってわざと土砂を運び込んだと思われます。

ただ、伊豆長岡側に比べると道幅がかなり広いです。
普通車同士ならすれ違えるくらいの幅があるのではないでしょうか。







しばらくすると旧道は右へカーブします。おっ、隧道が見えてきましたね。


旧三津坂隧道、内浦側坑口に到着しました。伊豆長岡側坑口とほぼ同じ構造です。
こちら側は竹の竿でかなり簡易的なバリケード?が作られており、一応通り抜けは禁止されているようです。


それにしても、昭和36年には現在の「三津坂隧道」が竣功し、廃止されてかなり時間が経っているのに状態が良すぎると思いませんか?
比較的容易に隧道に近づけるのが理由の1つかもしれませんが、実はもう1つ理由があります。





これは、内浦側の旧道分岐点に設置されている看板です。
旧三津坂隧道の延長などはこの看板を参考にさせていただきました。

どうやら、近年になって地元のNPO法人が保存へ向けた活動をしているようです。
おそらく隧道の管理はこの法人が行っているのでしょう。
旧道に土砂を運び込んだのも、この法人による活動だと考えれば納得がいきます。


井上靖の「しろばんば」や太宰治の「斜陽」にも登場した、歴史ある旧三津坂隧道。
旧天城トンネルのような観光名所になる事もなく、今もひっそりと存在しています。

しかしながら、地元のNPO法人による活動が始まっており、今後に期待できます。

旧道・隧道ともに危険が少なく、比較的容易に訪れやすいので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。



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